*うさぎの皇子さま [地名に生きるうさぎ]

uji.jpg京の茶処として知られる宇治は、むかし「莵道」と書い
て「うじ」と呼ばれていました。
一説に、この名の由来といわれるのが「莵道稚郎子(う
じのわきいらつこ) 」という人物。第15代・応神天皇の
末の皇子(おうじ) で、第16代・仁徳天皇の弟にあたる
人でした。
この皇子さまは、幼い頃から学問に秀で、父の寵愛も厚
かったといいます。応神天皇には主立った皇子が3人あ
りましたが、2人の兄をおいて、この聡明な末息子の莵
道稚郎子に皇位を継がせるとお決めになったほどでした。
しかし、いちばん上の兄はこれに納得がいかず、父(応
神天皇)の死後、莵道稚郎子を亡きものにしようと兵を
むけます。2番目の兄(後の仁徳天皇)がこれに気づき、
すばやく弟(莵道稚郎子)に知らせて、謀反を起こした長男は討ち取られました。
父に望まれて皇太子になった莵道稚郎子でしたが、これは自らが習得した儒教の原則(長子継続)に反す
ると、即位を辞して兄に譲ります。しかし兄も亡き父の意志に背くことはできないと断り、しばらく皇位
の譲り合いが続いたといいます。そんな(天皇不在の)状態が3年も続き、このままではいけないと悟っ
た莵道稚郎子は、兄に即位させるため自ら命を断ったと『日本書紀』は伝えているそうです。
莵道稚郎子が悲運の皇子と呼ばれるのはそんな物語からですが、実際には彼が宇治で天皇として即位して
いた時期があったのではないかともいわれています。史書に悲しく美しく描かれる莵道稚郎子は、謎のヴ
ェールに包まれた人物なんですね。
だけど謎は謎のまま、美しいヴェールは無理にはがさなくてもいいのではないでしょうか。
そんな伝説の皇子、莵道稚郎子は今も宇治川東岸の宇治神社と宇治上神社に祭神として祀られ、静かにこ
の地を守っておられます。皇子がこの地へ来られるとき、一匹のうさぎが道案内をしたという伝説もあり、
それが「莵道」の起源とする説もあります。宇治神社の境内には、あちこちに神さまのお使いの「うさぎ」
を見ることができます。写真はそのひとつ。ここのうさぎ像たちは、いがいに見つけにくいところにひっ
そりと佇んでいます。参拝のさい、探してみてください。

【記事の参考にさせていただいた資料】
・『宇治市史1』宇治市役所発行(S49.7)
・『宇治の歴史と文化』宇治市歴史資料館編. 宇治市教育委員会発行(S63.7)
・『地名探求』京都地名研究会会誌 第6号(H.20.6)より
 「研究 / 菟道と菟道稚郎子について」尾崎聖二朗

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やさしい宇治の歴史―付・宇治茶の歴史

やさしい宇治の歴史―付・宇治茶の歴史

  • 作者: 岡本 望
  • 出版社/メーカー: 文理閣
  • 発売日: 2006/02
  • メディア: 単行本


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